グレイトフル・ted

『テッド』を観たんです。
吹替え版を観たんですが、有吉弘行の起用は大正解。
この公開規模の作品でああいうセリフを言って許されるのは、今は有吉だけでしょう。
おかげで真昼間から、「アナル」だ「顔射」だのの台詞を浴びることができました。
オレも中年。たまにはこういう言葉浴びて体を温めとかないと。


内容なんですが、事前は『劇画オバQ』みたいな話だと思ってたんですよ。
『劇画オバQ』では子供なのは異物であるQ太郎であって、正ちゃんは大人だった。
一方『テッド』では、子供なのはマーク・ウォルバーグ演じるジョンなんですよ。
異物であるテッドはろくでなしではあるが、意外に大人だったりすんですね。
テッドとジョンが喧嘩する場面で、俺が強要したか?全部自分の選択だろうが!とテッドが怒鳴るじゃないですか。
全く持ってその通りで、ジョン分別のなさが揉め事の原因なんですよ。
ついでにフラッシュ・ゴードンも無罪。コカイン勧めたのは、ご愛敬ってことで。
テッドに全責任を負わせるのは明らかに無理がある。それに気づいたジョンは?
そこから、強引ながらも、コメディとして皆が納得するであろう結末へと向かうワケですよ。危険なジョークを振りまきながら。


でも、上記のことは、実はどうでもイイことなんですよ。
この種の「お前はもうイイ歳じゃないか」てな話にオレはいつも思うんですよ。
レンア〜イ?カレシ〜?カノジョ〜?ずいぶんと優雅なことですなあ!と。
もう若者とは言えなくなり、ふと自分を見つめ直した時にぶつかる問題が結婚やらなんやらってのはあまりに呑気。そんなもん別にしなきゃしないで済むことです。そんな回避可能な事ではなく、誰にだってやってくる問題。色恋沙汰を子犬とするなら、こっちは人肉の味を覚えたグリズリー。
それはその時、親が老いているという事実ですよ。
近いうちに、あるいはすぐにでも、自分が親を支える側に回らなければならない。物理的に、金銭的に、精神的に、あらゆる意味で。オレがジョンを同じ35歳の時にはこの不安を抱えていた。この時、父は66歳。母は64歳。父は大病こそないが、血圧の薬は常用していたし、すでに総入れ歯。髪は真っ白で見事に老人。母は2度の入院を経験していた。1回は大腸ガン。2回目は大動脈瘤が破裂寸前となった。医師に30分差で助かったと言われた。ついでに去年、母は3度目の入院と手術をした。ガンが転移していた。手術は成功したが、これからは油断のならない日々が続くことになる。
おやおや、ずいぶん嫌そうじゃないか?親が嫌いなのかって?「要介護です」「認知症を発症しました」といったことを受け入れる人はいても、望む人はおらんよ。


まさか「有吉!アナル!」からこんな話になるとは。どうしよう。
とりあえずヤッホー!アーナールー!ビッグアナルフェスタ、ギャラクシー!
落ち着いたので話を続けます。
この種の話はコメディだから、こんな重い要素は相応しくない。そういう話ではない。
そう言われりゃそうです。しかし、どう考えても回避できない問題をまるで描かず、小手先ののことに終始してる姿ってのはけっこう白けるもんです。
その点『テッド』は違ったんですよ!
終盤、一瞬だけ、ドッキリギャグの体裁をとってはいるけど、そんでも要介護の問題に触れてんですよ。これは大きい。この1点で『テッド』は3日もすれば忘れるような映画ではなくなりました。
調べれば、この映画の親であるセス・マクファーレンはオレと同じ39歳。
だよな。この年齢の人間がこの話作るなら、この要素を入れずにはいられないはずですよ。
ああ、イイ映画でした。



ちなみに、やはりこの問題に触れているらしい小説『ロスト・ケア』。読むのが楽しみであり、恐ろしくもあります。明日にでも本屋行こう。