ドロロンおろろんデロデロばあ
「どろろ」が映画になるそうで。
なんかもう手当り次第な感じですよ。今のところ出てる情報だと、かなり話変えるみたいですね。
柴崎コウがどろろ演じるんでしょ。新世紀の「女囚さそり」てなこと言われてた人ですよ。
そりゃあ原作通りにはいかんですね。
監督は塩田明彦。「黄泉がえり」の...ではなくオレ達(達?)的には「害虫」「月光の囁き」の人ですね。
まあ、上記3作全て観てないのですけどね。
映画の方はまだ何も分からんのでイイとして、これを機に原作の再販をして欲しい。
ラストどうなったか忘れちゃったから。百鬼丸は親父と対決したんだっけ?実はどろろって...のところで終わったんだっけか。
いつか再読できることを信じて楽しみにしておこう。
ところで「どろろ」の作者と言えば、手塚治虫です。
最近、漫画評論の「テヅカ・イズ・デッド」を読んだのです。たけくまメモでかなり話題になってましたから。
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そこには手塚治虫の功績は偉大だけど、あまりに意味を付けすぎて、今となっては論ずる上で足枷になってない?てのがありました。
ありそうな話です。この手の現象はどの分野でも起こりうることです。
でも、ピンとこなかったんですね。手塚治虫の名前がそこまで重たいものになっているということが。
手塚治虫の神格化の例は、いくつか挙げられていました。読んでみると納得はします。
でも、それはある年代限定の話で、今となっては主流じゃないんでないの?
「漫画の神様」なんてのはよく聞いたが、それは「人間発電所」とか「コンピューター付きブルドーザー」とかの二つ名ぐらいにしか思ってなかったよ。
むしろ、今神格化されてるのは藤子不二雄Fなんじゃなかろうか。
そんなことを思いましたね。これは自分の周りに手塚先生は神様です!な人がいないからか。
手塚治虫の影響云々以外の文章については、そんなもんなんだろうなと思ったんですけど。
「最近の○○はダメだね...やはり○○の時代に限るよ」てな物言いから感じるウザッたさってのは、自分にもその気があるにも関わらず分かりますしね。