結局よう分からん

今更なんて言葉がアホらしいくらいだけど、「電波男」を読んだんです。
ある種の迫力は感じました。ヤプール人(壊滅後)から感じるものと同じ類のものを。
読み物としては面白かったです。
でも、同調はできんよ。気持ち自体は、分かる気もするんだけどさ。
これはオレとは違うリーグの人間が書いたものだ、特にそう思ったのが、「ONE」というゲームの話。
川名みさきというキャラクターとの恋愛の場面に、激しく感情移入したというやつ。
このキャラクターに本田透は大いに救われたと言う。
それは分かる。説得力のある描写があれば、架空の存在に救われるってことはありますよ。
これはオレだけでなく、大小を別にすれば皆が経験することだろうし。
でも、分かるんだけど、この件を読んで真っ先に頭に浮かんだのは「レッド・ドラゴン」だったんですよ。

レッド・ドラゴン 決定版〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

レッド・ドラゴン 決定版〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

レッド・ドラゴン 決定版〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

レッド・ドラゴン 決定版〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

この小説に出てくるリーバ・マクレーンは全盲なんです。
彼女は過去の経験から男に幻滅しているんですね。ロクな奴ぁいねえと。
盲目であることにつけんだ、体目当ての男。
コレならオレでもなんとかなるぜと寄ってはくるが、盲人と付き合うリスクを考えると尻込みする男。
こんなんばっかでうんざりよ...そこに現れたのが、タフガイだけど慎ましさを持ったダラハイド。
彼はこれまでの連中とは違うわ!と思ってたら、ダラハイドは殺人鬼でした!ショックのパ〜。
救われた!と言ってるページでコレがちらつくようでは、オレは電波の範囲内にいないんでしょう。

あとさ、やっぱサブカルって言葉が出てくんのね。当然のように嫌ってたけど。
最近、ようやくこういう意味で使ってんのかなと思えるようになったけど、以前はホントに分からん物言いでした。
そこで思うのは、本田透とか、そっち方面の人達は「ジョジョの奇妙な冒険」にどう接してるんだろってことです。
荒木飛呂彦って、いわゆるサブカルそのものとしか思えないんですよ。
洋楽とかファッションとか、そっちからの引用ばっかじゃないですか。
しかも、最先端すぎてそれはそれでマニアックなものではなく、程々のところからじゃないですか。
フィクションからだって、ザ・文学作品とか筒井康隆とか「ユージュアル・サスペクツ」とか、ある方面ばっかだし。
まあ、別腹ってことかもしれんのですがね。