フンドシすらいらん

「ベオウルフ」を観たんです。
3D上映で、アトラクションのような映画です!と宣伝されたんで期待はしてなかった。
でもこれ意外と面白かったんですよ。実はイケるって話は聞いてたがホントにそうだった。
もう一つホントにそうだったことがあって、それはこの映画がホントにチンコ映画だったことですよ。
チンコチンコチーンコ、男のシン〜ボルウ〜♪
別に奇をてらった物言いしてるわけじゃないです。表面的にも、内面的にも、ホントにそういう映画なんですよ。
表面的な部分だと、モノこそ映らないけど、台詞にはバンバンでてくるんですよ。
「オレのビースト」とか「玉ナシだ!」「玉ナシか!」とか。
怪物倒すのに剣はいらん!て台詞の時、画面に映るのは人魚(当然メス)の腰に手をまわすベオウルフですよ。
映らないって言ったけど、直接映らないだけで、やってることはオースティン・パワーズ
フリチンでうろつき回るけど、奇跡のような配置で遮蔽物があってナニは映らないってやつ。アレですよ。
なにも、そんなアングルで撮らなくたってイイじゃないかってくらいのショットが連発でした。
中でも絶句するのが、全裸で仁王立ちのベオウルフ、でも股間はちょうどあった剣で隠れてるという場面。
もう!これだからオヤジってイヤなのよ...でもこれ、この映画を象徴してる場面なんですよ。


この映画では、剣=ペニスなんですよ。もう隠喩って言葉使うのもバカバカしいくらいです。
ペニスが何かと言うと、闘争心とか功名心とか貪欲さとか、そういったものの象徴なんですよ。
それ以外にも、もうホントにいろんなもの象徴してますけどね。もう思いつくもの全部だよ。
大変分かりやすいのが、デオ国の宰相とベオウルフのやりとり。
最初、宰相はベオウルフを全く信用しておらず、皆の前で侮辱するんですよ。もうホントに嫌味ったらしく。
でも、ベオウルフが戦果をあげると謝罪し、その証に伝家の宝刀を差し出すんですね。名剣フルンティングを。
軍門に下り、去勢したってことですよ。この宰相が宦官くさい面してるから余計にそう見える。
しかしフルンティングって名前、英語圏じゃなんてことないんだろうけど、日本に来た途端、奇跡となりました。
よそのコメント欄で速攻でネタにされてましたが、そりゃそうなるよな。異議なし。
あと、さっき言った「玉ナシ」。これはある登場キャラが比喩ではなく実際にそうなんですが、これまた何を現したいのか、ヒジョーに分かりやすい。まあ、デザインの時点でモロなんですけどね。
まあ、隠喩とはいえ、ホントにチンコまみれですよ。ああ、男根主義
でも、そこに出てくるのが、あのアンジェリーナ・ジョリーですよ。
もう最初から最後まで、CGであってもアンジェリーナ・ジョリーでしたね。演じてるというより本人登場。
ジョリー姐さん相手に、男根主義なんかを振りかざしたしたらどうなるか。
どうなるかじゃないよな。上手くいくわけがない。結果は見えてますよ。皆が思うとおりの展開になります。
しかし、ジョリー姐さんってオレより年下なんだけど、全くそう見えない。ボスの風格ありますね。


この映画って、つまりは神話の現代的解釈ってことなんでしょうね。
原作である叙事詩はわりとシンプルな英雄譚です。
ですって、もう読んだのは10年以上前で忘れてることも多く、未読も同然ではあるんですが、フロースガール王とグレンデル親子の因縁とかベオウルフと後半登場するドラゴンとの因縁とか、そういうものは無かったはず。
代わりに、フロースガール王の息子の話や、デネ国の歴史の話とか、そんなんがあったはず。
ギリシャ悲劇じみた、ドロドロしたものは今回の映画独自のもののはずです。はず、ばっかですが。
そこに、今の視点で考え、肉付けして物語化するとこうなるってことなんでしょう。
脚本にニール・ゲイマンが参加してるってのが話題になってますが、オレこの人の作品読んだことないんですよ。
なので、それがどう影響してるのかは分からないけど、脚本はけっこう捻ってある。前半の描写が後半のもと符合したりとか。
「うわ、CGだ」と冷めちゃう瞬間もあるけど、ラストの対ドラゴン戦も悪くなかった。
最初に言ったようにあまり期待してなかったけど、拾い物の作品でしたね。