ボコノンの教え

「猫のゆりかご」を読んだんです。

これに登場する「ボコノン教の書」に、最初に記してあるのは「本書に真実は一切ない」。
続く言葉は「<フォーマ>を生きるよるべとしなさい」。注釈には<フォーマ>とは無害な非真実とある。
最後の方にダメ押しがあって、それは「今すぐこの本を閉じろ!<フォーマ>しか書いてないんだぞ!」。
そのすぐ後に「<フォーマ>とは、むろん、嘘のことである」とずいぶん身も蓋もないことが書いてある。
最後まで皮肉な展開が続き、救いがない。死人が山ほど出るけど、それを感情込めずに書いてるし。
こりゃニヒリストの物言いですのう。無害な非真実をよるべとせよとは、まるで「電波男」だ。


ヴォネガットについて検索してみると、ニヒリスト、皮肉屋と評する人はかなりいる。
でも、必ずといってイイ程それだけではないことも書いてある。優しいなんて言葉も出てくる。
それって「爽やかな脂性」みたいなもの?「パンチパーマのツルッパゲ」とか。矛盾を感じる。
でも、「猫のゆりかご」から感じるものを考えると、なんとなく理解できる。
優しさと呼べるかは微妙な気もするけど、それだけじゃないと言いたくなるのは分かります。
なんでそう思うのか考えてみると、ニヒルマンにありがちな、突っかかってくる感じがないからだと思う。
「どうせ○○なんでしょ?」「そんなこと無意味」とか言いながら突っかかってくるものってあるじゃない。
そういうこと言いたくなる気持ちは分かる。オレにもタップリとある感情だ。バーホーベン好きだからね。
でも、度を過ぎればウンザリするし、ニヒルな物言いの背後には、プライド保つための処世術が見えることがある。
いろんなもの否定するが、実は自分を否定されないために、先手打ってるだけだったりするじゃない。
そういうのが見えちゃうとさ、これはこれでマヌケに見えちゃうんだよ。
いや、しつこいけど全否定はしないよ。オレにもある感情だし、そういう物言いを楽しむことはよくあるから。
もう一つは、それだけだと飽きちゃうってもありますね。
すき焼きだってさ、肉だけじゃ辛いじゃない。野菜も食うし、豆腐も食う。間にタバコだって吸うさ。
ここで同じヴォネガット作品の「タイタンの妖女」の内容を思い出してみると、さらに分かりやすい。
読んだのは10年くらい前で、細かい部分は忘れちゃってるけど、こんな話。
地球の歴史、人類の歴史、個人の歴史、全てに意味がありました!もう誤解の余地もないくらい明確です!
でも、その意味っての本当にどうでもいいことでしたよ!コンニチハ!
主人公も大富豪から記憶を失った一兵卒に転落するし、他の連中も皆不幸になる。
神様のような力を持った男が登場し、唯一の例外かと思ったら、実はコイツも操り人形。しかも人形使いナシの。
いやー人をバカにしてるなあ。でも、実際に呼んでみると、陰湿な攻撃性は感じられない話なんですよ。


泣ける!優しさ!ああ、人の良心!てな物言いには辟易するけど、かと言って無駄!意味ナシ!てのも食傷気味。
そんなことを思う今のオレに、カート・ヴォネガット・ジュニアってのはちょうどイイ作家なんだろう。
半自伝と言われる「スローターハウス5」も読んでみることにしよう。