ミッキー不在

「ロッキー・ザ・ファイナル」を観たんです。
この映画って、最初から勝ち戦ですよね。それなりの成功は保障されてた映画ですよ。
興行面では「ロッキー」というブランドがありますわな。スタローンの切り札ですよ。
内容的にも、少し考えると不思議なことはなかった。
オレも最初は「いい年してボクシングできるわけが...」と思ったけど、それこそが肝であろうと気付いたから。
かっての英雄も、今じゃただのジイサン。もう体は動かんけど、でも最後に意地を見せるってのは王道の1つでしょ。
加えて、観てる方は老いたロッキーに、現在のスタローンを重ね合わせる。しょっぱい感じの元スターの姿を。
条件はそろってるワケで、少なくとも負けはない勝負です。


観てみると、ザ・限定回帰。雰囲気は1作目のそれ。
エイドリアン死んじゃったし、息子とも上手くいってない。かっての仲間でいるのは...ああ、ポーリーか
昔みたいに貧乏じゃないが、不満の量は変わらぬくらい。いや、一度幸福を味わったことがある分、前よりキツイかも。
かっての、やるせないロッキーの再現ですよ。
1作目ってのはボクシング映画の体裁とってるけど、実はスタローン個人の話ですわな。
今回もそう。しかも物凄く生々しい。観てて辛くなってくるくらい。
例えばロッキーが協会にライセンスの再申請をする場面。
健康診断の結果、身体的には問題がないけど、でもダメ。それがキミのためだと言われちゃう。
当然ロッキーは怒る。オレのため?やりたいことやらせないのがオレのためかよ!と。
これ、スタローンの実体験なんだろうなあ。映画会社に似たようなこと言われたんじゃなかろうか。
自虐的な場面も多く、若造に犬になんて名前着けようかと言ったら、返ってきた言葉は「パンチーがイイ」。
パンチーてのはパンティを井上義啓風に言ったワケではなく、パンチドランカーのこと。
後でその話を聞いた人間が「なんて失礼な」と怒るくらいの皮肉だけど、ロッキーは怒らない。
大人だからその程度はジョークで済ませるよってことだけど、問題はワザワザそんな場面を用意する意味ですよ。
スタローンもイロイロ言われてるワケじゃないですか。特にここ10年くらいはオチョクリの対象でしかなかったし。
そういうものが反映された場面ですよ。観てて辛い場面だったなあ。
飲みの席で上司が「オレだってイロイロあるんだぜ」と愚痴りだしたことあるんですが、その時と同じ気分だったよ。
あと、とにかく地味な話なのはイイとしても、あまりにスタローン個人の話なんで、脇役に目立つのがいない。
特にミッキー的な存在がいないってのは痛かった。叱る人間がいないから、全部ロッキーの自省になっちゃうのよ。
だから辛い空気が、ますます濃密になっていくんですよ。
今回はロッキー自身がジイサンなんで、そういうキャラクターはいらないってことだろうが、でもなあ。
小学生の頃、テレビでロッキーが放映された翌日なんて友達みんなミッキーのマネしてたもんですよ。
しゃがれた声で「ロッキー!」って言ってたから。しまいには「ミッキー」と言うだけで笑っちゃう雰囲気までできた。
中には「立つんだロッキー」と丹下段平と混ざっちゃってる奴もいたけどさ。
ああ、言えば言うほどしょっぱい映画な気がしてきた。
でもこれは「ロッキー」なんで、それだけじゃないですけどね。そこからイロイロ始まるワケで。
今回も階段走って登ります。卵だって飲む。さすがに鶏追っかけはしなかったけど。


結果どうだったかと言えば、大傑作とは言わない。
こんだけ暗いもの提示しといてあの展開はワザとらしいし、結局スタ公の願望だろと言われるかも知れない。
露骨に泣かせにかかってる上に、自身のイメージを利用しまくるんだから、あざといにも程がある!と言われるかも。
でも悪くなかったですよ。
この映画のロッキーの心情は、34歳・独身のオレには「そんなもんかな」と想像するしかない。
それ以前にロッキーはアメリカの英雄だったし、演じるスタローンだって金持ちの有名人だから、接点はない。
でも1作目を振り返れば、イロイロと感じるものはありました。
じゃあ2〜5作目は?というと、瞬間的にアポロ、ラング、ドラゴの映像は写るけど、ほぼリンクしません。
一応触れられるけどって程度です。
ドラゴまでか。で、5作目は?...いや、まあ、今日はその話はいいじゃないの。