パパンがパン!

パンズ・ラビリンス」を観たんです。
これファンタジー映画として宣伝されてますよね。たしかにファンタジーではあります。
でも、観てみるとパンだのペイルマン(人食い手の目)だのは、あんまり出てこないんですよ。
パンは主人公と会話する場面があるせいで目立つけど、実際出てるのは10分くらい。
他はなにやってんのかと言うと、もうひたすらキビシー現実の描写。
その現実を一身に背負ってるビダル大尉ってのが大変はやつでして。もうザ・ナチ軍人。
ナチってお前、舞台はスペインだし、ビダルの親分はヒトラーではなくフランコ将軍だって。
そう言われるだろうけど、それでも、ビダルは立派なナチ男なんですよ。
傲慢!冷酷!サディスト!でもって神経質なキレイ好き。これ、ナチ軍人に対するパブリック・イメージじゃない。
こんな奴とは一緒に暮らしたくないということに関して、説得力抜群のキャラクターなんですよ。
あとはメルセデスって女が出てくるんですが、最初は松金よね子かと思ったね。よめきんトリオを思い出したよ。
でも話が進むうちにドンドンかっこよく見えてくる。伏線の張り方も「ダイ・ハード」より親切だし。
これは、やっぱ映画がよくできているってことなんでしょう。


そんな2人に挟まれた主人公オフェリアは、小学生くらいの女の子。だから状況に振り回されるだけ。
振り回されるのは現実世界だけでなく、幻想世界でもなんですよ。
この幻想世界がロクなもんじゃなくて、化けカエルとか人食いとか、そんなんばっかでね。
案内人である牧神パンも、まるで信用できない上に、優しいのは最初だけ。後はおざなりな態度か怒鳴るかです。
これなんなのかって言うと、明らかに現実の出来事が投影されたものなんですよ。
この映画の幻想って、現実からの避難所には全くなってない。内容を選べてないですけえ。
だから、幻想というより、白昼夢と言うべきだと思いますね。夢といっても悪夢よりの。
吾妻ひでおの「失踪日記」で凍えて死にそうな時、夢の中でも凍えてたって話あるじゃないですか。アレですよ。
その挙句どうなるかと言うと、それはオチだから言わないですよ。一つ言うと、解釈の余地はあるようにしてますね。
オレの解釈は...ってそれもオチに触れるからダメですが、実は強引にオレ解釈しようとしてました。
オフェリア=郭海皇という結論を引き出してやろうと。
郭海王って...バキの?そう、バキの郭海皇だったのじゃ...疑るかぁ!!!
これを強引となじることも良し。しかし、結果オレは生き延びる...てな感じで。
無理無理無理。できるワケないって。可愛らしい女の子と妖怪ジジイじゃどうやっても無理でした。
でも、パンフレットに載ってる鼎談に杉作J太郎が参加してんですけど、そこで言うんですよ。
「オフェリアは俺です」って。オレ杉作さんのことは尊敬してるけど、相手は女の子ですよ。なのに「俺です」。

男の花道 (ちくま文庫)

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これがアリなら郭海王だってアリじゃないの!それでもダメか。現実の前にはそんな想像も許されないのか...
あ!
今、オレとオフェリアが重なった...これか。というワケでオレもオフェリアです。オフェリアはオレです。


とにかく、イイ映画でしたよ。見応え十分でした。