呪いの霧

「ミスト」を観たんです。
原作は高校生の時に読んだので、内容はイイ具合に忘れての鑑賞です。
いいからさっさと怪獣映画撮れよ!と世界中から言われ続けたフランク・ダラボンがついにきましたよ。
アンテナに登録しているところを見渡しても評判は最高、それに「ザ・フライ2」や「ブロブ」のダラボンですよ。
これは勝ちいくさ。どう転んでもラーメンマンだろう。テリーマンの危うさはないね!
結果から言えば満足しました。話題のラストもキョーレツ。
絶望的と言われるラストを見て「セブン」を思い出しましたね。ショックの度合いではなく、内容の面で。
この映画は「恐ろしいのは怪物ではなく、すぐそばにいる人間」ものです。
描かれるのは頭が真っ白になるような瞬間的なものではなく、まとわりつくような恐怖感。
この作品の「恐ろしい人間」はとりわけタチが悪い。自己正当化の手段が宗教ですからね。手下できるし。
でもこれを恐いと思ったのは、鑑賞後にタイ式マッサージを受けながら内容を反芻してた時なんですよ。
それまではね、オレは喜劇として受け止めてたんですよ。


喜劇ってお前...そうやって上から目線で優越感か。やーねーマニアって。
そう言われるかもしれないが、違いますよ。そうじゃない。ホントに喜劇として受け止めてたんですよ。
そりゃ萩本欽一的なものではなく、悲喜劇としてですけどね。
喜劇として受け止めるには、登場人物を突き放して見なけりゃいけないんですが、まさにそうなってました。
だって人物描写があまりにも定番通りだから。もうブレがなさすぎ。
子を思う父、イヤミな弁護士、粗野な労働者、宗教ババアとイロイロでるけど、いかにもな行動しかしない。
唯一意外性があったのが、あのミニラみたいなオッサン。この上なくカッコイイんですよ。
話の流れを考えると、さらなる悲劇がって場面でもミスすることなくばっちり決めるんです。
そういう例外はあるけど、完全に定番の描写を、危なげなく丁寧にやるもんだから、生きた人間というより物語を進めるためのコマにしかみえない。
コマだから感情移入はしない。となれば、どんなに悲惨な状況でも滑稽に見えますよ。


でも、これ勝ったのは誰か?という風に考えると滑稽ではすまなくなる。
少なくとも主人公グループは勝ってない。勝利からは一番遠いところにいる。
じゃあ宗教ババアか。彼女も勝ってはいない。
言ってることは間違いだらけで、出来事を都合よく解釈してるからだし、内容もコロコロ変わってましたからね。
でも、ああいうタイプの人間は、そんなことは細かいことだと気にしない。いや、気づきもしない。
だから、勝ってはいないのに勝ったと思い込んで、その自信は小ゆるぎもしないんですよ。
宗教ババアの方から考えれば、あのラストは「それ見たことか」で呵呵大笑ですよ。
それを思うと、あのラストの救いの無さはミニ牛丼単品からメガ牛丼サラダセットおかわりに大増量。
大変嫌な気分になりました。この映画、やっぱホラーなんですね。怪獣映画ではない。
鑑賞中ではなく、その後にくるとは。これは呪いですね。ジクジクと痛みが続くんです。
傑作ですね。


タイ式マッサージを終えた後、はしごで「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を観ました。
いやあ、いい解毒剤になりました。
連続で観たおかげで「ゼア〜」に対してはニュートラルな鑑賞できなかったけど、それでよし。


余談ですが、「ミスト」を観て思い出したものがあります。
まずはジョー・R・ランズテールの「モンスター・ドライブイン」。話は同じだけど、味わいは完全に別もの。
次にウルトラセブンの18話「空間X脱出」。だって閉鎖空間のはなしだし、クモンガ出るし。
同じ題材でもイロイロあって楽しいなあ。